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ノラ犬と散歩|by リトルキヨシ

2009年08月02日

叔父さん

僕には8つ年上の姉がいる。
僕が生まれた時にすでに小学生だった姉は
僕のことをとても可愛がってくれた。

お祖母ちゃんから聞いた話では
僕が2歳くらいの時
何が面白かったのか部屋中に醤油を撒き散らしながら
はしゃぐクソ餓鬼の僕の後ろを「やめなさい!」と半べそかきながら
それでも決して怒ることなく拭いてくれたそうだ。

保育園の年長の時
当時姉がのぼせていたチェッカーズっぽい服を着せられて
ギザギザハートの子守唄をよく歌わされた。
僕も姉が喜んでくれるのが嬉しくてずっと歌っていた。
だから歌うのが好きになって今でも歌っている。
その時の一丁前にポーズを取った写真が今でも残っている。

小学校3年生の時
爪を噛むという当時の姉の癖が
僕にはとてもかっこいいことに見えてマネしだしたら
それが癖になって未だによく爪を噛んでしまう。

小学校4年生の時
姉が手術をする事になり、初めて人が全身麻酔から醒めていく様をみた。

小学校5年生の時
姉から「私がお菓子食べそうになったら、ダイエット!って注意して。」
と言われていた。
ある日姉に連れられてどこかへ遊びにいった帰り
バスで偶然姉の友達と乗り合わせた。
なんとなく話が盛り上がり友達がお菓子を出して一緒に食べよう、
となったところで「お姉ちゃん、ダイエット!」と叫んで怒られたことがある。
僕は昔から声が大きかった。

小学校6年で柔道を始めた時
姉からは耳がつぶれて足が短くなって身長が止まって
女の子にもてなくなるよ、と散々止められた。
でも僕は結局柔道を中学卒業まで続けたが耳はつぶれなかった。

中学生になる直前の春休み
姉に連れられて繁華街に初めて洋服を買いにいった。
もう中学生になるんだからちょっとはお洒落しなくちゃね、
とリーバイスの501と薄緑色のパーカーを買ってくれた。
残念ながらそんな姉の意思とは裏腹に
全然お洒落に興味のない男になってしまった。

中学1年生の秋
膝を悪くしてしばらく柔道ができなくなった時
「ギターでもやったら?女の子にもてるよ~」
という言葉で僕はギターを始めて今でも続けている。

中学3年生になる直前の春休み
姉が染色の勉強をしに半年ほど住み込みで京都に行くことになった。
行きは姉が運転する車で僕も手伝いの為についていった。
お世話になるお宅でおやつをご馳走になっている時
そこの奥さんに「お姉ちゃんのこと好き?」と聞かれて
反抗期特有の照れから返事ができないことがあった。
その後姉から「私はキヨシのこと大好きだよ」と言われすごく後悔した。

高校2年の冬
グローバーオールの紺色のダッフルコートをくれた。
姉が昔バイトしまくって買ったら大き過ぎて着れなかったらしい。
もちろん僕にも大きかったが構わずボロボロになるまで着続けた。

大学に進学しようか迷っていた高校3年の夏、
父からは北海道を、姉からは沖縄を勧められて沖縄を選んだ。
その後沖縄でのアパート探しにもついてきてくれた。

大学2年の時
姉が結婚した。
結婚式での父の雰囲気がとても印象に残っている。

沖縄を離れ上京することになった時、
2ヶ月と期限を決めて姉夫婦の家に居候させてもらった。
今考えればろくに手伝いもしないし帰ってくるのは夜中だし
厄介な同居人だったと思うが、
期限がくるまでは文句も言わず居させてくれた。

一昨年の夏
ポリープの手術を終えて麻酔から醒めたら
姉が病室の窓辺で本を読んでいた。
筆談を交わして僕の無事を見て取ると
「またね」と言って帰っていった。

そんな姉が今日の夕方、元気な女の子を出産した。
つまり僕は叔父さんになった。
明日はお久しぶりの姉と初対面の可愛い姪っ子に会いに行ってくる。
とても楽しみだけどちょっとだけ緊張してるんだ。
そこんとこ!

投稿者 2-peace : 23:11 | コメント (1) | トラックバック (0)

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コメント

むっちゃ感動しました。
涙出ました。

ありがとう

投稿者 小僧 : 2009年08月06日 22:12

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