リトルキヨシトミニマムゲンキ オフィシャルサイト 2Peace
 
トップへ バイオグラフィー スケジュール ブログ マイスペース コンタクト
ノラ犬と散歩|by リトルキヨシ

2009年02月18日

ソウゾウスル

重ね着した冬を一枚一枚脱ぎすてる。
薄れてく冬への未練と
やがてくる春へのときめきが
同居している心持ち。

例えば今
僕の大切な誰かの命が
誰かの自分勝手な欲望を満たす為や
気まぐれなんかで
なんの落ち度もなく唐突に
奪われてしまったら
僕はどうなってしまうだろう?
「殺人」は殺されてしまった人の
未来や夢や希望を奪うだけでなく
殺された人を大切に想う人達の心を
壊してしまう行為だ。
もしも僕の大切な人が殺されたとして
それを悔い改めた殺人者から
どれだけの謝罪を受けても
許すことなんてできないと思う。
殺人者が死刑になったところで
殺された命は戻ってこない。
そんなことは百も承知で
きっと死刑を、願わくば
大切な人が受けた以上の
恐怖と苦痛と辱めを味あわせてから
殺して欲しい、と願うと思う。
殺人者が死刑になったところで
虚しさしか残らないとしても
大切な人の命を奪った相手が檻の中であろうと
これからも生き続けて
未来を持ちえている事を
認めることはできないだろう。

一人しか殺してないから「無期懲役」
反省しているから「無期懲役」

「加害者の人権」なんて糞喰らえです。
やむを得ぬ事情もなく(この線引きは曖昧ですが)
殺人を犯した者はみんな
「死刑」でいいんじゃないか?
最近そう考える自分がいる。

次のライブは・・・。
そこんとこ!

投稿者 2-peace : 23:20 | コメント (1) | トラックバック (0)

このエントリーのトラックバックURL

http://www.2-peace.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/488

コメント

はじめましてこんちわー

事情を見出せない
殺人者はなるほどくそったれ
かもしれません
でも何がそうさせたのだろう

加害者もまた
裁きようのないナニモノかの被害者
かもしれない と思ってマス

ぼくは
殺人者を死刑台におくるより
そのナニモノかにマシンガンを撃ちたいです
そして
その銃口は自分にも向けられています

投稿者 オリトス : 2009年02月27日 15:24

コメントを送ってください




ログイン情報を記憶しますか?


Copyright , 2peace,all rights reserved.